2010年08月15日
終戦その時を想う
今日、終戦記念日
今朝、サンデージャポンでは沖縄の当時23歳の母が生き抜いた戦争!
終戦前、3週間の壮絶な生活を初めて語った。
私はもう涙が止まらなかった・・・
幼い子をおぶって逃げ回る道には、無数の遺体がころがっていた。
襲撃で防空壕に逃げ込むと、ここは兵士がいる場所だ
役に立たないものは入るな・・
暗闇の中、赤ちゃんが泣く声が聞こえると
見つかって襲撃されてしまうからと
赤ちゃんを奪われ、井戸へ投げ捨てられた。
飲む水もなく、井戸へ行くとその中には遺体があり
水にはウジがわいて浮いていたが
それを捨て、その水を飲んで命を繋いだ。
そういう姿に同情する感情もなくなってしまうという
そして自分の背中におぶっていた長男が急に重くなった。
ミサイルの破片が当たって即死だった。
父にゆわれるがままその子を道の脇へおいた。
わが身のことでももう涙も出ない。。。
人間が人間でなくなってしまったときだとそのときを振り返る
でもその悲惨で壮絶な現状の中で生き抜いたのは
希望を失ってなかったから・・・
あれから65年・・・
確かに命がつながっている
自分の背中で亡くなった長男、
今こうしていられるのは彼のおかげだと毎日手を合わすという。
おくやみよりも・・・
今、生きてることの感謝・・・
そして今をめいいっぱい生きていこうと想う
今朝、サンデージャポンでは沖縄の当時23歳の母が生き抜いた戦争!
終戦前、3週間の壮絶な生活を初めて語った。
私はもう涙が止まらなかった・・・
幼い子をおぶって逃げ回る道には、無数の遺体がころがっていた。
襲撃で防空壕に逃げ込むと、ここは兵士がいる場所だ
役に立たないものは入るな・・
暗闇の中、赤ちゃんが泣く声が聞こえると
見つかって襲撃されてしまうからと
赤ちゃんを奪われ、井戸へ投げ捨てられた。
飲む水もなく、井戸へ行くとその中には遺体があり
水にはウジがわいて浮いていたが
それを捨て、その水を飲んで命を繋いだ。
そういう姿に同情する感情もなくなってしまうという
そして自分の背中におぶっていた長男が急に重くなった。
ミサイルの破片が当たって即死だった。
父にゆわれるがままその子を道の脇へおいた。
わが身のことでももう涙も出ない。。。
人間が人間でなくなってしまったときだとそのときを振り返る
でもその悲惨で壮絶な現状の中で生き抜いたのは
希望を失ってなかったから・・・
あれから65年・・・
確かに命がつながっている
自分の背中で亡くなった長男、
今こうしていられるのは彼のおかげだと毎日手を合わすという。
おくやみよりも・・・
今、生きてることの感謝・・・
そして今をめいいっぱい生きていこうと想う
この記事へのコメント
生きていることは何よりも素晴らしい。
そのことを忘れてはいけませんね。
そのことを忘れてはいけませんね。
Posted by オガサン at 2010年08月15日 19:44
☆オガサンへ
生きてるだけでまるもうけ
欲張っちゃいかんね・・
毎日おいしくビールが呑めるって
サイコーのしあわせだ! ネ・・オガサン
生きてるだけでまるもうけ
欲張っちゃいかんね・・
毎日おいしくビールが呑めるって
サイコーのしあわせだ! ネ・・オガサン
Posted by さとやん at 2010年08月15日 20:25
私たちはまだ「なまの戦争体験記」を聞けた時代の人間として、次の世代に伝えなくちゃいけませんね
Posted by べもんぺんぎん at 2010年08月15日 23:12
☆べもんぺんぎんさんへ
忘れてしまいそうなことも、いろいろな形でメディアが取り上げてくれることで、今の世代の人の心にもなげかけていること多いと思いますね!
忘れてしまいそうなことも、いろいろな形でメディアが取り上げてくれることで、今の世代の人の心にもなげかけていること多いと思いますね!
Posted by さとやん
at 2010年08月16日 00:28

このブログを読んだだけで泣けてきました。
現代人はみんなそれぞれ悩みを抱えていますが、住むとこがあって、1日3度の食事がある。これだけで十分幸せなんですよねぇ。
4年前家族で広島に行った時、子供はまだ小さかったけど、原爆ドームを見せ、子供たちに、「今はまだ何も分からなくて良いけど、この建物を見たことだけ憶えておいて。」と言いました。そう話したことを毎年この時期思い出します。
現代人はみんなそれぞれ悩みを抱えていますが、住むとこがあって、1日3度の食事がある。これだけで十分幸せなんですよねぇ。
4年前家族で広島に行った時、子供はまだ小さかったけど、原爆ドームを見せ、子供たちに、「今はまだ何も分からなくて良いけど、この建物を見たことだけ憶えておいて。」と言いました。そう話したことを毎年この時期思い出します。
Posted by ストーンフィールド at 2010年08月16日 00:33
>私の祖母は沖縄県民です。
戦争の話は一度も聞いたことはありません。
小さい時に行ったきりなので、記憶が曖昧ですが 飛行場の近くかターミナルかどこかに防空壕の跡がありませんでしたか?それを見て、不思議な気持ちになったような覚えがあります........。
過ぎてしまった事への執念より、感謝なんですね…
無駄な死を哀れむより感謝します。子供たちにも、うまく伝えなくちゃいけないですね。
戦争の話は一度も聞いたことはありません。
小さい時に行ったきりなので、記憶が曖昧ですが 飛行場の近くかターミナルかどこかに防空壕の跡がありませんでしたか?それを見て、不思議な気持ちになったような覚えがあります........。
過ぎてしまった事への執念より、感謝なんですね…
無駄な死を哀れむより感謝します。子供たちにも、うまく伝えなくちゃいけないですね。
Posted by ぶるままん at 2010年08月16日 06:58
☆ストーンフィールドさんへ
学生の頃、原爆ドームを見た衝撃は忘れられません。。
年を重ねてこういう現実、真実に目を向け耳を傾けるようになってきたと思います。
学生の頃、原爆ドームを見た衝撃は忘れられません。。
年を重ねてこういう現実、真実に目を向け耳を傾けるようになってきたと思います。
Posted by さとやん at 2010年08月16日 07:04
☆ぶるままんさんへ
口にしなかった65年間の思いは
今でも考えると眠れない日々より
これからの未来に絶望をかんじることなく、
平和な毎日を思う希望が強かったんですよね・・
そういうことを感じられた事がよかったと思いました。
口にしなかった65年間の思いは
今でも考えると眠れない日々より
これからの未来に絶望をかんじることなく、
平和な毎日を思う希望が強かったんですよね・・
そういうことを感じられた事がよかったと思いました。
Posted by さとやん at 2010年08月16日 07:14